韓日一つ

文鮮明師と韓鶴子総裁の思想と生涯を正しく伝える、韓国と日本の長所を伝える、日韓の友好・親善を広げる、韓日・日韓の一つになる日を目指す。

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文亨進様の誓い : 真のお父様は真のお母様を通じて役事をされる

文亨進(문형진)氏の真のお母様の証し!




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[ 2015/10/04 06:02 ] 真の父母中心主義 | TB(0) | CM(0)

12年5ヶ月間の統一教会信徒拉致監禁事件、勝訴確定!最高裁から2,200万円の損賠償の支払いが命じられる

やっと、後藤徹さんの裁判が確定された。2,200万円の損害賠償である。当たり前の結果だ。12年5ヶ月という、考えられない期間の拉致監禁は、日本の歴史の中で最悪な罪かも知れない。最高裁の判決に敬意を表すのである。これで、後藤徹さんの不義との闘いが終わるが、家庭連合(旧統一教会)信者に対する拉致監禁は、今も続いている。いち早く、この不思議な「事件」消え去って欲しい。以下は、日本家庭連合本部のHPに掲載された、後藤さん裁判の確定判決である。その記事を全載させていただく。しかし、後藤徹さんの家族関係は、何としてもいい方向に進みますことを望む。

   ―――< 以 下 >―――

「12年5ヵ月にわたって都内のマンションなどに拉致監禁され、世界平和統一家庭連合(旧:統一教会)からの脱会を強要された後藤徹さん(51)が、事件に関与した親族と職業的改宗活動家らに損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(大橋正春裁判長)は9月29日(火)、親族と改宗活動家らの上告を棄却する判決を下しました。親族と改宗活動家らに総額2200万円の損害賠償の支払いを命じた控訴審判決が確定し、後藤さんが勝訴しました。

 改宗活動家らが上告の理由として、①控訴審判決は違憲、②控訴審判決理由に不備がある――と主張したのに対し、第3小法廷は「その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するもの」であり、上告理由にならないと判断しました。

 東京高裁(須藤典明裁判長)は2014年11月13日、拉致監禁の事実認定について後藤さんの主張をほぼ全面的に受け入れ、兄夫婦と妹の3人に対して総額2200万円の支払いを命じるとともに、職業的改宗活動家・宮村峻(たかし)氏に対しては、上記損害のうち1100万円を、また新津福音キリスト教会(新潟市)の松永堡智(やすとも)牧師に対しては同440万円を連帯して支払うよう命じていました。

 最高裁の判決を受けた後藤さんのコメントが、「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」のサイトに掲載されていますので、こちらも合わせてご覧ください。」


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[ 2015/10/02 23:04 ] 統一運動 | TB(0) | CM(0)

統一教会責任者としての反省

文鮮明師は、統一教会は「ユダヤ教⇒キリスト教⇒統一教」の脈を継ぐと教えてくだった。統一教会は、すべての宗教と主義・理念を統一し、平和世界を建設するために現れた宗教である。本来、祝福はお坊さん以上、神父以上の基準で授からなければならないとも言われた。即ち、仏教的修行、カトリックの聖職者の修行を基準の上で祝福を受けてこそ、祝福の価値を輝かせるようになっている。

1.統一信仰の現状
しかし、我が統一教会は「再臨メシヤの時の摂理」に合わせるために、基本的な万物主管と自らの人格修養と人への尽し方等の訓練が非常に足りなかった。そういう中で、今は、家庭の経済事情、2世教育、健康問題等を抱えている。原理とみ言は頭に沢山入っているが、実践が乏しく現実は伴わなく真理が身についていないのが、我らの現状である。

2.仏教からの学び
11年前、長野県にいた時に仏教のある住職の奥様が繋がれ、その方から聞いた。その宗派では、「位のたかいお坊さんでこそ、一番汚いどころを掃除する」と言われた。まだ、住職になるために「料理訓練を徹底に受ける」とも言われた。我が統一教団は、大体、下のレベルから汚いところを掃除し、食事は婦人が作ってくださる場合が多い。私は、統一教会ではこれが足りないと思った。

3.率先して掃除から
以前からも心かけて来たことだが、その話しを聞いた後からは、できれば「責任者」と言う意識を捨て、率先して掃除をやって来た。教会では機会があれば、料理も直接作った。責任者が朝から、這いながら掃除をし、料理まで作って出すと、親のような愛を感じるようにある。「親は何だろう?」と思った時に、それは、身を低めて環境を整い、限りなくメンバーをために尽くすことである。神の愛と、真の父母の愛が私たちを通して現れないといけないが、中々それが難しいことである。

4.愛は環境主管から
地位の高下を考えず、人に指示する前に、自分が先にやることは良き雰囲気を作る。環境を愛することは、その環境を主管する秘訣であると実感が湧いて来るようになる。統一原理に、「物質もやはり、知情意に共鳴できる要素をもっている(講論P60)」とあるが、万物・環境を愛することを通して万物から愛が湧いて来るのである。万物環境を愛することは、即ち、人をするところに繋がる。スッキリした環境、身軽く動ける体から、善の意欲が起こるのである。そこで、み言を読みたくなる、精誠を尽くしたくなる、み旨を広げたくなるものである。

5.日常の歩みの中で
毎日、道を歩きながら空き缶とが、ゴミを「さっと!」拾う。伝道の任地に行ったら、一周してゴミを拾う。ゴミを拾えば、捨ててくれる人に感謝したくなる。捨ててくれた人がいなければ、ゴミ拾いもできないからだ。そういう面で、少々環境を汚す人は、私に善行のチャンスを作ってくれる人なのだ。

人生の目的は愛と喜びをえるところにある。真の愛と喜びは、受ける愛よりは授ける愛から生ずるのである。私たちが、毎日接する環境を愛し、人に何かのいいことを施し、宇宙を浄化させて行き、良き思いと言葉で身を満たし、人のために多くの祝福の祈りを捧げることができれば、その人は最高の幸せな人である。このブログを読んでくださる方に、幸せが訪れますよう祈る。


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[ 2015/09/30 23:07 ] 私の随想録 | TB(0) | CM(0)

「ブログの品格」

 人に人格があるように、ブログにも品格がある筈だ。ここの日本ブログ村が提供してくださった、「家庭連合」のカテゴリーは運営者側から見ると、どのように見えるだろうか。一言で、この統一教会人たちの世界は、何か精神異常者たちの集まりのように感じられるか心配である。自分たちの教祖様が亡くなられて、その御夫人が教祖様の遺業をより良き方向に導いて行かれようとするのに、特に「真の父母」と言うので、その御夫人の存在も重要である筈ので、そして、名前にも「統一」という単語が付いているので、もっと団結して行くべきなのに、息子さんたちは言う事聞かず、元幹部数人んが離反したというのは、外から見れば「裏切り」と「鞍替え」にしか見えない。一言で、自分たちの教祖様の教えに充実に従っていないことに見える筈だ。

外の人が見ると、猛烈な統一ブロガーの数人は、正に文章を「書きまくる」ものとしか見えない。
「あれが、統一信者たちの姿なのか?」
「あれ、酷いじゃない?」
「人面獣心だわ!」
「吐き気がする」 と、感じるしかない。

ブログも読んでくださる方がいる限り、ブログも小さな「言論」的使命がある。文鮮明師は、言論は「自由言論・道徳言論・責任言論」であるべきだと教えtて逝かれた。自由に取材し報道するけど、道徳的基準を失ってはいけないし、書いた記事には責任をもたないといけないという意味である。統一ブロガー皆が、尊敬する文師の「言論の3大使命」という観点で、ブログを書くのをご提案する。こういう基準で見る時に、ネット社会のこの時代に「名前も顔も、せめてメールアドレスくらいも」公開せず、様々な記事を乱発することをどのように考えたら良いだろうか。統一ブログに目を留める方たちは、以下の様な「ブログの品格」を考える次元で読んで頂ければ幸いである。

1.ブロ運営者(以下、ブロガー)が、ある程度の自己紹介をしているのか。

2.そのブログの記事に、どれくらいの真実性を保っているのか。

3.他人のブログ記事をコピーして、流してはいないか。

4.根拠なき推測性の記事や無責任に流しているのではないか。

5.下品な表現で、読む人の気持ちが悪くなるような記事は書いていないのか。

6.真の父母の価値を甚大に傷つけはいないか。例えば、ある人が他教団の教祖、教主ならどうなろだろう。

7.独創性や創造性は足りなく、人の論調の便乗した記事の内容ではないか。

8.記事の中身はあるかどうか。

9.教団本部の公文を無断に全載して流してはいないか。
(筆者からの携帯メールが伝送されて、そのままネットに載っている、他のブログにも世界の公文がそのまま乗っている。ここで、一々ブログ名を書かないのは、他ブロガーとは論争したくないからである)

こういう点に基づき、一方的な「人格冒涜、裁き一片度、無責任な書き放題記事」のメールは、我らの心霊を傷つけるのである。そして、統一食口でもない方に、教団内部の情報を提供することは、愚かな「利敵行為」のようなものである。いくらどうであれ、我ら統一群れは食口であり、家族である。あくまでも根元は、神様・真の父母様である。根本を揺るがすことは、我らの立っておる足場を崩すことと同じでことである。


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[ 2015/09/29 09:44 ] 私の随想録 | TB(0) | CM(0)

真のお母様への否定は、真のお父様への否定になり、結局真の父母への否定になる。真の父母様は完全一体だからだ。

最近、ネット上の映像を通して、7男の文亨進氏、神山氏の真のお母様への否定を接する。実に、見苦しいことと言わざるを得ない。御自分の母親をあんなに否定して、どうするつもりだろう。理解ができない。子どもは父母から生まれるし、祝福も真の父母様から授かったのである。その真の父母が、今は霊肉としておられる。真のお父様の生涯最大の実績は、真のお母様を探し立て、完成まで導いて来られたことである。今、お父様はお母様を通して、残った摂理を「実体的に定着」させておられる。子女たちの行くべき道は、真のお母様のご指示に従い、天一国を広げて行くのみである。

1.真の父母は天宙の中心
真の父母という名称を中心としてこそ、神様の心情と一致することができます。真の父母を中心として本然の血統が始まり、本然の人格が始まり、言語が本来の位置に戻り、生活が本然の形態に戻り、本然の国家が形成され、本然の世界が成し遂げられます。この全体を総集約した核心的な母体が真の父母です。真の父母によってすべてのことが決定されます。ですから、真の父母のすべての思想を引き継がなければなりません。その心情、その人格、その生活観、その国家観、その世界観をすべて引き継がなければ、中心となる位置に立つことができません。(文鮮明先生み言選集028-248、1970 .01.22)

2.人類の希望は真の父母の息子、娘になろう
 類の希望は真の父母に出会うことです。歴史の結実は、真の父母に出会うことであり、時代の中心は、真の父母に出会うことであり、未来の出発の基地は、真の父母に出会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。
 今まで、歴史時代の願いは、すべて未来にありました。しかし、皆さんの一生を中心とする真の父母との縁は、永遠に一時しかありません。一度しかない貴いものです。先祖たちももてなかったのであり、子孫たちももたないのです。皆さんの希望は、ほかにあるのではありません。真の父母の息子、娘になることです。真の父母の息子、娘になって、真の孝子、真の孝女になることです。その真の父母が、今後、天かを中心として、地上の万王の王になります。ですから、人類の希望や歴史の希望や時代の希望など、そのすべての希望の中心が結実できるところがここです。皆さんの希望は、ほかにあるのでありません。
(文鮮明先生み言選集 046-168、 1971.08.13)

3.真の血統は、真の父母様から出発した
 今日、万民が願うことは何でしょうか。世界や国家の求める前に、真の父母を迎えることです。また、未来の子孫たちは誰から出発したいと思うのでしょうか。皆さんの息子、娘は、真の父母の血統を通して生まれたいと思うのです。ですから、真の父母は、新たな未来の出発点にあるのです。真の父母を完全に愛そうとする人は、世界を本当に愛そうという人であり、真の父母を完全に愛することができる人は、未来世界の子孫たちまで愛することができる価値をもった人です。したがって、真の父母の愛を受けるために自らの生命をすべて捧げて犠牲にしても感謝できなければなりません。そのような人は、真の父母の愛を相続するのに不足がないのです。(文鮮明先生み言選集 035-237、1970.10.19)


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[ 2015/09/26 23:53 ] 真の父母中心主義 | TB(0) | CM(0)
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Author:韓日一つ
文鮮明師・韓鶴子総裁ご夫妻を生涯の師とする韓国人責任者の一人、日本生活18年目、文師ご夫妻の思想と生き方を正しく紹介する。家庭連合(旧統一教会)の諸活動を総合的に伝える。自由・道徳・責任言論の観点で記事を書く。ここの記事は一個人の見解で、教団の公式的な見解ではない。訪問者の方々に感謝!コメントには誠心で答える。

PCメール: hhyju888@gmail.com

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